ヴェルニー記念館  [アート・ギャラリー]  高ヒット  


日本近代化の起点となった「横須賀製鉄所」をつくりあげたフランスの技師、ヴェルニーの功績と、横須賀製鉄所の意義を後世に伝えるために建てらた施設。館内には横須賀製鉄所へ設置された当時のスチームハンマー2基を展示。いずれも、国内現存最古で国の重要文化財に指定されている。
ヴェルニー公園のヴェルニー記念館(2002年4月30日オープン)で、プレス容量0.5トン・スチームハンマーと、3トン・スチームハンマーを保存展示し、さらに10分の1(模型)ハンマーによる鍛造の様子を再現した展示が行われています。(スチームハンマーは、蒸気の圧力で鍛造するための工作機械のことです。)。
 
日本国内に現存するスチームハンマーとしては最も古いものの部類に入ります。

<経緯>
 1865年(慶応元年)、徳川幕府は帝政下のフランスから人材・資材の提供を受け、三浦郡横須賀村に横須賀製鉄所および港湾施設を建設し、日本近代化の基盤を築きました。

この近代化事業は幕府の勘定奉行であった小栗上野介忠順と、フランス海軍技師 のフランソワ・レオンス・ヴェルニー(Verny,Francois Leonce 1837−1908)が中心となり推進されました。

<ヴェルニーについて>
ヴェルニーは、明治維新前に日本へ招聘された外国人の一人です。特に、横須賀市にとっては、本格的ヨーロッパ技術を導入し、人づくり・ものづくりを推進した近代化のパイオニアでした。

ヴェルニーは、1837年12月2日にフランスの中央山岳地帯に属するアルデシュ県オブナに生まれます。リヨンの国立高等中学校に学び、1856年パリのエコール・ポリテクニク(理工科大学)に入学した。1858年海軍造船大学校に進み、造船技師の道を志したました。

25才の時二等造船技師資格を得て、フランス海軍の技術者として中国の寧波(ニンポー)で造船業務に従事。

時に、開国して間もない江戸幕府と駐日フランス公使レオン・ロッシュとの間で、世界に伍するには、日本の海軍力・海運能力整備が急務という国際政策上の要請から、ジョレス・フランス海軍提督の推薦で来日を決意しました。

在日十数年の間に、仕事上、帰国することもあったが、途中、上海総領事の娘マリー・ブルニエ・ド・モンモランと結婚し、日本で三人の子供に恵まれ、帰国後の二人と合わせて、五人の子宝に恵まれます。

1876年(明治9年)春3月13日、離日後、本国ブレストの海軍関係業務に半年従事し、リヨンへ転出。

1908年5月2日、オブナで死去。享年71才。生家は今もそのまま残っています。(情報協力*神奈川県横須賀市)

      

【営業日】 午前9時〜午後5時

【定休日】 毎週月曜日(月祝日は翌日休)・年末年始

【アクセス】 横須賀 徒歩1分

【住所】 横須賀市東逸見町1-1

【電話】 046-824-1800


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